朝礼のネタ - fumiyaさんのエントリ
三年、四年と仕事に慣れるとともに商品知識も豊になり、専門用語も身についてきます。
あくまで専門用語はうちうちの仲間言葉です。部外者とかお客様にはわからないことが多いのです。それを平然と使う人、あるいは得意げにおりこんで話す人は困ります。とくに技術屋さんに多い傾向があります。使われたお客様はあなたを利口だとは思わないし、その言葉がわからなくても意味を聞かないでしょう。なぜならお客様には優越感や誇りがあるからです。
相手に理解していただくためにあなたが説明するなら、このお客様の誇りをおかさないことです。あなたが相手とコミュニケーションを上手にやれない理由はそこにもあります。
*芸術文章は、風景画のようなものである。実用文は地図のようなものである<幸田露伴>
文章の表現法について二通りの方法があると露伴はいっているのです。
風景画は、画面いっぱいに霧が立ちこめていて周りの情景がはっきりしていなくても差し支えないし、山の高さや川の幅が何メートルかわかる必要もありません。要は見る人に感動を与えればいいのです。
しかし、地図は別に感動はいりません。ただ距離は何キロか、徒歩で何時間かかるのかが明確にわからなければならないのです。
日常の企画書、報告書、日報など意味をよく考えて記述するよう心がけましょう。
昨日のこと、鈴木君に急いで連絡したいことがあってたずねたら居ないという。外出はしていないから社内のどこかにいるとの返事でした。
まる一時間もして鈴木君に連絡がとれ、行き先は連絡しておくのが常識だというと、きちんとして出たとのこと。ところが、告げておいた相手が外出してしまったので完全に行き先不明となった次第でした。こうしたことはお互いに忙しいとよくあることだでは困ります。黒板か机の上にメモでもあれば、その人がどこに行こうと連絡がとれるのですから問題は起きません。
協力の精神を忘れないよう、まず、お互いに不在の場合、行き先不明とならぬようハッキリと明記しておきましょう。
人間には、生まれつきおしゃべりな人と無口な人がいるようです。
会社にいても、ただ黙々と仕事をして、いるかいないかわからないような人、また、会議やミーティングに参加しても、聞かれたときだけ短く返答し、そのほかはただ目線だけで参加している人もいます。
そのうちに周りの人は彼はおとなしい、あるいは素直な人という印象を持つようになります。場合によっては、自分を持たない、信念も協調性もない奴だと誤解されてしまうことさえあります。
いろんな人間の集まりである会社では、やはり自分の考えを言葉に出さなければ、理解されることはありません。
本当は家に帰れば、とたんにおしゃべりになるのかもしれませんが、やはり仕事場では自分を主張する癖をつけておかなければなりません。無口だという周りの評価に慣れてしまってそのままの態度に閉じこもっていては、いい仕事はできません。
自分は口べたで表現力がなくてとか、バカにされたくないとかで自己防衛をしている人もいるでしょうが、そういう人は勇気に欠けているといってもいいでしょう。
心を開き、自分の思っていることを思いきって発言し、評価をうけることです。そうやって協調性を身につけ、仕事のリズムもつかむことができます。
*山は山を求めない。しかし、人は人を求めて生きる
子供も三歳ぐらいになると、見るもの聞くものすべてに対して、「これなぁに、あれなぁに?」と矢継ぎ早に問いかけてきます。
しかし、成長するにしたがい、いろんなことを学び、経験を重ねていくので、だんだんと人にものを尋ねるということをしなくなります。
わからないことがあっても、今までの人生で知ったこと、経験したことをもとに、推理するようにもなります。自己内コミュニケーション、つまり自問自答して、判断していきます。それを重ねるにつれて、判断材料も増えていく、データ・インプットが増加していくわけです。
さらに社会人となり、責任ある地位につけばつくほど、判断業務、意思決定の機会は多くなり、大事になってきます。
そこで考えていただきたいことは、自分で理解していることと、まだ十分に事実をつかみきっていない、わからないことをごっちゃにして判断していることはないかということです。
新入社員ならともかく、三年も五年もたってこんな初歩的なことを聞くのは恥ずかしいと思って、知らないままにやって失敗すれば、その被害が及ぶのは自分一人だけにとどまりません。どんな小さなことでも、わからないことがあったら知っている人に聞くということを心がけてください。
聞くはいっときの恥といいます。わからないことで後輩のほうが詳しいこともあるでしょう。そういうときでも、自分の判断業務の材料にするには一つでもおろそかにしないよういお願いします。
職場はいろんな人の集まりです。
自分の心の中に思っていることを素直に表明できないで悶々としている人もいます。
また、いつもみんなの前でこれが正論とブツ人、言いっぱなしの人もいます。
また、自分一人話し相手にもならず黙々と作業している人もいます。
職場にはいろいろなタイプの人々が同居しているわけですが、会社というところは共通の目的を追求する集団です。
西洋のことわざに「風向きばかり見ている人は、蒔くことも刈ることもしない」というのがありますが、一人悶々としていないで自分の思っていること、感じていることを相手に対して率直にオープンする勇気がほしいものです。
また言いっぱなしの人は有名な貝原益軒の「知って行なわざるは知らざるに同じ」という言葉をかみしめてください。自分が正しいと信じ、発言するなら行動がともなわなければ口先だけの奴とレッテルを貼られるでしょう。「これをいうは易く、これを行なうは難し」です。
これにくらべて、一人黙々と作業する人はどうでしょう。行動する姿勢を非難することはできませんが、しかし、職場は協調が大切。みんなで考え、みんなで働くチームワークがより効率を高めるのです。その協力によって目標を達成していくのです。自分一人だけ良ければいいというものではありませんし、また、そういう仕事はそうありません。
みんなが、オープンに発言し、行動し、そして協力していく明るい職場をめざしましょう。
先日、ある会社を訪問したときのことです。その会社の常務さんと午後二時に面会の約束をしていました。約束の時間の五分前に到着すると、受付嬢は一礼のもと「〇〇様でいらっしゃいますね。常務がお待ち申しておりました」と明るい声で迎えてくれました。さらにエレベーターまで案内し「六階まで恐れ入ります」とボタンを押してドアの外で一礼、六階についてドアが開くと別の女性が応接室へ案内してくれました。通された応接室にはすでに常務さんが待っていてくれたのです。
約束していて、時間通りに訪問しても、待たされるのがふつうなので私はびっくりするやら、感心してしまいました。
私たちの会社にも毎日多くのお客様が見えます。五分や十分お待たせすることもまれではありません。はなはだしい場合には、約束を忘れてしまって、他のお客様の相手をしていたり、外出してしまったりすることもあります。
それだけに、この会社の受付への来客連絡の徹底、明るい対応、礼儀、そして先方様の態度、社内を通り抜けるときの社員の目礼のしかたなどは反省とともに感銘をうけました。
こういうことは一朝一夕に身につくというものではありません。ふだんからの経営者の社員に対する教育、そしてなによりも社員一人ひとりの企業人としての心がまえ、自覚があればこそでしょう。全員がそうなったとき、社内全体が緊張の中にも活発さあふれる状態になれるのでしょう。
”相手に対する印象を快く”
私は、よく会社というところは書類や資料があふれるほど書かれ、配られるのに、それを分析し、有効に利用することは非常にむずかしいと思うことがあります。
ある会社の一部署で「各自の机の中に入っているものをたとえどんな重要な書類と思われるものでも整理して、三分の二を捨てよ」といいう指示がでたことがあります。それこそ山のような紙屑が出てきましたが、その後、業務にさしさわるようなことは全くなかったそうです。
他部署から配られるさまざまな統計資料、仕事に役立ちそうだと思われる新聞や雑誌の記事の切り抜き。いつか読もうと買っておいた本。これらがたまりにたまって机の中は紙の洪水です。もちろんこれらの中に重要な情報も含まれているでしょうが、それらをピックアップして仕事に役立てなければ宝のもちぐされです。
情報は収集するだけでは何の役にも立ちません。その場その場で分析し、必要最小限度のものだけを自分なりの方法でファイリングすることが大切です。その残りは思いきって捨てるのです。
やたら書類を抱えている人は総じてあまり仕事が速くないようです。必要最小限のものだけ頭の中にたたき込んでしまう、手帳にメモするようにすれば、ミソもクソも一緒というような愚かさはさけることができるでしょう。
今日は、みなさんの周りをそういう目で見て、必要なもの不必要なものを分けて整理してみてください。
*簡潔は知恵の精神(たましい) <シェークスピア>
今日から職場美化週間です。働きやすい環境づくりはまずきれいな職場からです。
口で言うのは簡単ですが、みなさん一人ひとりが自覚して初めて達成できるのです。
私たちの見える範囲、仕事場などは比較的きれいに整理、整頓できていますが、かくれた部分、たとえば更衣室のロッカー、机の中などはいかがですか。
ちょっとのぞいてみると二、三人のロッカーはまるでくず入れのように古着その他、つっこんであるといった様子です。
自分の身辺点検も同時に行ってください。環境の美化を行なう原点はまず身辺整理、そして心の美化、自覚だと思います。
今日は気象庁の前身である東京気象台が設置された日だそうです(明治8年)。
現在は気象衛星が飛び、日本列島上空の雲の状態など一目でわかるようになり、天気予報も驚くほど科学的になりました。しかしそれでも、よく予報ははずれます。女心となんとやらで、大自然のしくみを知り尽くすことは到底できそうにもありません。
今では農家の人とは違い、明日の天気を気にやむのはゴルフやドライブの前日ぐらいの私たちですが、冷夏だと米の値段が上がったり、季節もの商品の売れ行きがさっぱりだったりして経済全体に大きな影響を与えます。いつになっても私たちの生活はおてんとう様次第なのです。